母への喜び
母が遊びに行くようになった
私が幼い頃離婚して、ずっと必死に私たち兄弟の為に働いて生きてきてた母が最近少しだけだが遊びに行くようになった。とても嬉しい。
この前は突然「今日飲みに行く!」と連絡してきて12時くらいに帰ってきた、それがわたしはとても嬉しい。
ずっとそうやって生きて欲しいと願っていた
将来何したい?って聞くとお前達が独り立ちしたら癌で死にたいと言っていた、それがずっと悲しかった。
幼い頃ダメな親で申し訳ないと私に笑いながら言ってきたことがあった
私が不登校になって1人で家にいたら「仕事を辞めてお前と一緒にいる」と言い本当に仕事を辞めたことがあった
自分ではダメなのかもしれないと思い、車の中で小さな声で父方のおばあちゃんと一緒に暮らすかと聞いてきたことがあった
今までの私の全てをひっくるめて、思い出せるほど悲しかった事はその3つ
楽しく生きて欲しいとずっと思っていた
私のせいというのは分かっているが、そんなこと気にして欲しくなかった
面白くて嬉しくて笑ったのは、離婚してすぐヤケになって50万の化粧品のセットを契約したこと(未だにそれは定期的に届く)
夜遅くになると「お母さん」から「たえちゃん」になって、お母さんと呼んでも返事せずに「たえちゃん」と呼ぶと返事する、理由は「今は親ではなく友達の時間だから」そんな母が愛おしく感じた
疲れて帰ってきて晩御飯を作るのがしんどい時「今日はお菓子パーティーをしよう」とスーパーに行き好きなだけお菓子やジュースをカゴに詰めてテレビや映画を見ながらお菓子を食べた、そんな考え方のできる母が可愛いと思った
もっと遊びに行って欲しい、楽しく生きれる素質があるのに、そう生きない母が悲しかった
私には才能がない。楽しんで生きる才能がない
生活のせいだとは思わない、育てられ方のせいとも環境のせいだとも思わない。ただ私が見て聞いたものを受け取った時、私の中の才能のなさが悲観的にさせるだけで、何一つとしてあの人のせいではない。だから私が悲観的な人間であることを悲しまないでほしい、これはただ私の性格と言うだけの話であって、母には落ち度なんて全く、私の中の細胞一つ分もないのだから。
だからこれからもそんな風に生きてほしい
煩わしい生活はそれとして受け止め、楽しみを追求してほしい。
母は私と違って美しい人だ、中も外も美しい。私はそれが何故だか誇らしい。そんな母を愛しているのだから、これからも美しくあって欲しいと願っている。
おわり