私の日記

誰にも読まれないことが好ましい。LINEの投稿を非公開にして色々書いていたけど惨めな気持ちになってしまったので移行、見てもいいけど見られないことが好ましい。

傷付ける

昔病院に通っていた時に担当の先生が別の病院に移ることになった

最後の問診の日

「初めてここに来た時アナタこうだったね~」「え~そんなことないですよ~」なんて笑って問診してもらってた

時間が来た、じゃあこれで、と立ち上がると先生は「ねえ」と言った

私が先生の顔を見ると先生は「一つだけ約束して」と言った「何をですか」と聞くと「絶対に自分を傷付けないで生きてね」と言った「難しいけど守れるかな?」と

体も心も傷付けずに生きろ、私は「わかりました」と言いそれが先生との最後の言葉になった

幸い自分の体を傷付けることなく生きてこれた、悲しくなっても自分の体には当たらないように、他に目を向けて先生との約束を守って生きてきた

でも心は、ダメだった

毎日つまらない事で傷付いて悲しくなる、生きる才能がない

どうなっているんだ、これじゃいくら体を傷付けずに生きられたとしても心はもう死んでしまう、それでも、私は生きるしかないのか

体を殺してしまう程心を傷付けるながらそれでも生きなければならないのか

生きることこそが正義だと言う「行きたくても生きられない人もいる」じゃあ私の死にたさはなぜ尊重されないんだ、死にたいのに生きることを義務付けられる私の、立場は、もうないのか

ここは断崖絶壁だ、生きろ生きろと迫ってくる世間に嫌だ嫌だと後退りをする私、きっとこのままでは海に落ちてしまう

延命治療がある、本人の意思が分からなく家族に判断を迫るのだという、もちろん家族は愛があるので延命治療を頼むのだそうだ、そして、管に繋がれ、自意識があるかどうかのその人をただ見つめる、本人に意思さえあれば、伝える方法さえあれば

私には意識があり伝えられる、死にたいと、それなのに何故生きることを強要されるのか

話を聞いて欲しいだけなのに死なないで、と言われる事は分かっていて誰にも言えず、結局私は今月死ぬ

死を語ることがタブーでなければ救われた人間もいくらかは居たはずだ

早く安楽死の制度を導入して欲しい、楽して死にたい訳でなく、死という選択肢を人生のポイントとして設置しておいて欲しい

きっと「まあダメでも死ねるし」と思えて救われる人もいるとは思う

なんて事を考えながら今日も部屋の掃除は進まず、あれやこれやと母の世話をやき「これで最後だから」と1人で満足感に浸ることしか出来なかった

もう本なんて、売れなくてもいいような気がしている、この部屋の壁が防火壁ならこの部屋に日を放ってしまえるのに、そう思いながら準備のことを考えて、写真取らなくちゃ、盛れたやつ、とか、手紙書かなくちゃ、とかグループ展やった時のデータをチームの子に送って使って貰えるようにしなきゃとか、死ぬのも楽じゃないんだなと感じ、今日も寝る

恨まれることも憎まれることも悲しませることも全部分かってるけど、それでも私はもう限界だ

これ以上私は私を背負って生きては行けない、誰かに背負ってもらうつもりもない

だから決断しただけだ