私の日記

誰にも読まれないことが好ましい。LINEの投稿を非公開にして色々書いていたけど惨めな気持ちになってしまったので移行、見てもいいけど見られないことが好ましい。

真夜中の孤島

このブログを書く時は基本真夜中なのだけれど

その時間が結構好きだ

家は狭いので基本的には誰かの生活の音や香りが漂っている

でも夜中は違う、私以外の家族は皆早寝で12時には全員熟睡してしまっている

外も車や子供の声も聞こえず、植物に水をやりながら井戸端会議をするおばさんの声もない

この布団だけが夜の海に漂っているような気持ちになる

ここは真夜中の孤島だ

今新聞配達のバイクがやってきた、それもすごく好きだ

眠れない眠れないと言いながら、なんだかんだこの時間を愛し始めている自分がいる、いや愛さなければやっていけないの方がちかいのか、なんにせよ真夜中に1人というのは好きだ

静寂が好きだ、図書館が特に好きで、小学校に入る前からずっと地元の図書館に通っていたし、学校に入ってからも休み時間はいつも図書館に入り浸っていた

ルールとして静寂が保たれていて、話したい人もコソコソ話す、その話が楽しかったのか声を抑えてクククと笑う声も好きだ、途端そこに花が咲いたような気持ちになる

それでもそこから誰かが話し始めてそれが伝染しない図書館が好きだ

私は本を読むのが好きだけど苦手、文字を読むのが遅いのと中々文字と映像をリンクさせることができない、それでも本という存在そのものを愛しているし、この世で最も価値があるのは生きている人間ではなく先人が遺した本であると断言出来る。ああそうだこれは下手の横好きか

それでも図書館に通うのは本が読みたいのではなく図書館に行くことそのものが目的なのだと思う、あの空間がたまらなく愛おしい

1枚1枚薄くすぐに破れてしまう紙の束である本が様々分類され美しく並べられている、規律の見本のような場であそこでは誰も怒りを撒き散らしたりせず、ただ各々が自分の孤島を築き上げ、そこから好きな大陸(本棚)へアクセスしてまた孤島に戻っていく、それを見ていると気持ちが高揚してしまう「あの人は出会いたかった本と出会えたのだろう」「新しい発見があったのかな」と邪推してしまう

小さい頃図書館司書になりたかった

それを小学校で友達に話すと「え~図書館のカウンターの人?あの人たち座ってるだけじゃん、暇そう」と言われた

その子の夢はなんだったか忘れたが、その時の私は子供が抱いて良い夢と悪い夢があるのだと思った

男の子はサッカー選手か野球選手に警察官、女の子はケーキ屋さんにお花屋さん看護師に保母さん、私の夢は図書館司書、パチンコ屋の店員、近所のたこ焼き屋、恐竜の学者、古代エジプト研究の学者、目に入るもの全てになってみたかった

その時花畑の孤島にいる気持ちになったように思う、なんでもあるけど誰とも繋がっていないそんな気持ち

それから私はずっと孤島にいる

孤島に居ること、それが悪だとは思わないが最善とも思わない、締め切ってしまえばそれまでで楽ではあるが人が嫌いな訳では無いから寂しい、しかし開け放ってしまえば「この花はあまり綺麗じゃないね」「なんでこんな所にいようとするの?寂しい人なんだね」と、見当違いの槍で私を刺してくる

結局の所図書館で椅子ひとつ分の孤島や、真夜中にだけ存在するシングルサイズの孤島で夜の海に溶けるくらいがちょうどいいのだと思う。

 

おわり